現状維持バイアスとシフティング・ベースライン症候群

コンテンツサービス事業部の後藤です。先日耳にした言葉ですが、シフティング・ベースライン症候群(私の好きなベースではないベースですが・・)これはゴールポストを少しずつずらしていくやり方で、いつの間にか随分遠いところがゴールになってしまっているのに気づかない状態を表すようです。昔、会社の仲間と帰りに飲みに行くとき、大体いつも同じ店に行っていることに気づきました。より良い店を探すためには、未知の店に飛び込む必要があります。当たり外れのリスクを考慮すると、いつも通っている店なら特に問題もないし、時間もないし、まぁいいんじゃない?という感じですね。これは現状維持バイアスと言われるもので、あらゆる事柄に当てはまると思います。変化するには現状を打破して、新しいことにチャレンジしなくてはなりません。失うものもあるはずです。現状維持は退歩である、という言葉が弊社の行動指針にあります。常に変化し続ける姿勢は大切ですが、ここはとりあえず現状維持バイアスの話に戻りましょう。

現状維持バイアスに慣れてくると、変化を好まないにもかかわらず、少しずつ環境が変って来ることに鈍感になります。先ほどの、まぁいいんじゃない?の感覚で受け入れてしまうわけです。最近お通しが手抜きになったよね?一品の量が減ったんじゃない?なんかビール薄くない?・・などなど(笑)この感覚がシフティング・ベースライン症候群です。いつの間にか「あたりまえ」のサービスが変ってきているのを受け入れている状態です。これは手抜きのサービスの例ですが、規制についても同様のことが言えます。

ベースラインをシフトさせる・・音楽好きなら転調のこと?なんて考えてしまいそうですが、残念ながら規定値を動かす方のお話ですね。明確な根拠もなく規制されても、少しずつなら受け入れてしまうことの恐ろしさを感じます。

規制が解けたときに、(解ける規制ならよいのですが・・)以前の「あたりまえ」をどう感じるか、が問題です。ああ、やっぱりこれが自然だよなぁ~と思うか、え、こんなことしていいのかな?と思うか。罪悪感を感じるようになっている場合は完全に規定値が動かされている状態です。それが快適な方もいらっしゃると思うので、それはそれで良いのですが、何でもかんでも受け入れてしまうのは如何なものでしょう?今良いと思う「あたりまえ」については、理不尽な規制に反対して守っていくことが未來を決める大切な要素なのではないかと思います。

昭和の「あたりまえ」は今ではほとんど通用しなくなっています。実際に改善されたことも多いとは思いますが、バランスが少々崩れているように思えるのはわたしだけでしょうか。

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